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【プリンス自動車村山工場跡地】

『マン・マシンの昭和伝説』(前間孝則、講談社文庫)を読んで、村山工場跡地の写真を撮ってきました。

この村山工場、小学校の高学年の頃(プリンス時代じゃないぞ)に社会科見学で来たことはあったけど、村山工場に行ったという事実を憶えているだけで、何を見たとかそういう細かいことは何も憶えていない。いかに自分に記憶力が無いかという証拠。


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残堀川

工場の敷地へ流れ込む残堀川と橋の名前(伊奈平橋)。

(撮影:2005.06.12、FinepixA310)



プリンス自動車が建設した村山工場(武蔵村山市)、この村山工場を建設してしばらくした後に日産に吸収され、日産自動車村山工場に。そして日産のゴーン改革で元プリンスの村山工場と元プリンス(更に前は中島飛行機)荻窪製作所の両方が売却されてしまいました。両方とも元プリンスだから、何か裏の理由があるんじゃないかと勘ぐってしまう。

2005.06.18
残堀川

川が工場に到達する場所。歩道の向こう側が元工場で、昔は壁があって中は見えなかった。
下は道を渡ってから撮影。信号と工場敷地を通る道があるが、昔はこの道はなかったし門でもなかった場所。

(撮影:2005.06.12、FinepixA310)

2005.06.18
現在の工場跡地

信号のところから元工場敷地の北側、新設された道路、南側を見る。

(撮影:2005.06.12、FinepixA310)

2005.06.18
dscf0310

工場の壁に沿って流れる残堀側。

『マン・マシンの昭和伝説』には以下のような記述がある。
その計画の徹底ぶりは、敷地内を走る川の流れすらも変更してしまうほどのものであった。とかく工場は年月を経ると手狭になり、不便になりがちだが、村山工場は建設から三十年たったいまもなお通用する建物となっている。
この川が写真に出ている川。工場の壁にそって不自然な直線で川が流れている。その距離約1.5km。とは言ってもあまり大幅に流れを変えた訳じゃなく、工場の中を南端で200〜300mほど食い込んでいたのを外にずらしただけ。
そしてこの本によれば、村山工場は「大メーカーであるトヨタがほぼ同時期に建設をはじめていた元町工場の四倍、日産が計画中の追浜工場の一・三倍にものぼる」そうだが、日産はその追浜工場を残して村山工場を無くしてしまうのだから、何か裏があるんじゃないかと勘ぐってもおかしくはなかろう。

(撮影:2005.06.12、FinepixA310)

2005.06.18


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