【東北計画2日目】 |
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0400時に起床して、0430時に長者原SA出発。まだ早すぎるので朝飯は無しで。 0503時、一関IC到着。ここから東進していく。 ICを出たらすぐに国道4号線に入ったけど、こんなところで東京と同じ国道を走るというのは妙なものである。 そして国道264号線で東進。 0528時、橋を通っていたら鉄骨が面白く見えたので、渡りきったところでパチリ。 0604時、気仙沼駅前通過、いよいよ被災地だ。しかしこのあたりは「被災地」としての気配が全然ない。 カーナビをみていて、海の近くまで来たな、と思って海の方へ進路を変えてみたら…唖然。 家の土台だけのブロックがあったり、浸水している場所があったり。 とりあえず「復興村屋台気仙沼横町」の隣に車を置いて、港周辺を見てきた。 港の海面は明らかに高い位置にある。 地盤沈下しているというのは知識としては知っていたけど、実際にそれを見ないとその重大さはわからないな。 乗船桟橋が落ちたままになっている。 上の写真の左側に写っている部分を向こう側から見る。やっぱり桟橋が落ちている。 エースポート、調べたら「気仙沼市観光物産センター」という名称らしい。 1階には汽船のりばや観光案内所なんかもある建物。大きな被害が出ているな、と思ったら、 あんなに高いところに津波浸水深のマークが着いていた。 なんと2階の天井まで海面が上がったのか! 港の反対側に行くために歩いていたら、ちょうどフェリーが入ってきた。 カーフェリーの側面にはドアがあるから、おそらく落ちた桟橋は歩行者が乗下船するためのものなのだろう。 ただしカーフェリーなので桟橋がなくても乗降できる。だから落ちたままにしてある(復旧しない)のだろう。 港の反対側に到着。船着き場が完全に海水に浸かっている。地盤沈下しているのがよくわかる光景だ。 船着き場の前には何か建物があった跡がある。床がコンクリだから漁労関係だろうか? その左側には民家があった跡がある。やや高いところにあったけど、ここもながされている。 なお2枚目を撮ったのは裏にあった高台の神社。高さがあったため神社(猪狩神社)は被害を受けなかったようだ。 この方向に戻っていく。 近くで見るとこんな状況。瓦礫がないせいで、これからここに建物を造るように見える。 海の方を見ながら歩いてみる。 本来ならここには漁業関連の会社などが入っていたところで、この道から港は見えないはず。 真ん中と左の建物は津波に耐えたようだ。(1階は抜けてしまっているのでベニヤで窓を塞いでいる) 左端にちょっと見えている建物と右の建物は綺麗なので立て直したのかな? 拡大。 旅館が残っていた(営業していた)。 トタンで塞いでいる部分は最初からトタンなのか、被害を受けてトタンで塞いでいるのかは不明。 まわりが流されているのにこの旅館は残ったのだから、本当に運が良かったのだろう。 右に見えるのは気仙沼女子校。高台にあるので多くの人が避難したのではないだろうか? 港に戻る。 フェリーが係留されている。左下の砂利は道路。 地盤沈下しているので、かさ上げして道路を舗装しなおしている。 砂利の下には水が見えるが、地盤沈下の影響で水が入ったら抜けないため残っているのだろう。 よく見てみたら「新居浜」の文字が見える。新居浜(愛媛県)から無償譲渡された船だ。 ふたたびエースポート付近。桟橋が落ちているのがよくわかる。 ベンチのあたりはでこぼこが出来ていた。 森進一「港町ブルース」の碑。これも被害を受けて変形している。 時計が置かれていた。 気仙沼が津波に襲われたのは1530時頃なので、建物が津波に襲われて壊れていくうちに海水に浸かって止まったのだろう。 見るからに歴史的な建物も被害を受けていた。 1階が潰れているので、地震のためなのかもしれない。 津波で1階が抜けてしまった建物。建物自体への被害は小さいからまだ建っているのか? エースポートの北にある交差点。ここでぐるっと回りながら撮影してみた。(360度) エースポートの裏手を北西から南にかけて撮影。 鉄筋の建物の裏なのに津波で軒並み流されているし、地盤沈下で海水が入ったまま。。 まだ解体らしき工事をやっていた。 よくみたら、湧き水のような波が立っていた。海水が入っているのだろう。 エースポートの1階はスッカリ流されてしまっている。 内湾商店会のプレートの付いた街灯。津波で傾いてしまっている。 よくみたらリボンが付いていた。このリボンには復興への願いを感じた。 エースポートの南隣にある立体駐車場の脇にあった電柱。根元からポッキリ折れている。 なおこの左側に復興村屋台気仙沼横町がある。 復興村屋台気仙沼横町。まだ0700時なので店は開いてなかった…朝飯を食いたかったのだけど。 でもスタッフらしき人たちが集まって七夕の笹を立てていた。 ひと回りしたので北東へ移動。 神社の向こうに行ってみたら魚市場らしき建物があった。 市場の裏側には建物があったらしき跡があった。こっちの方が被害が大きいな。 そしてもうちょっと進んでみたら…唖然。 この新浜町交差点で西から南へまわりながら撮影。 何にもない。一部建物はあるけど、基本的に何もない。 上の写真の東南東の方へ行ってみる。 「気仙沼ほてい」の工場の脇にあった構造物。 鉄筋コンクリートがポッキリ折れてしまっている、すさまじい破壊力。 傷が無いので流された船によるものではなく津波によるものだろう。 津波が土台に当たって上に力が逃げた。 そしてその結果オーバーハングした部分に下から津波が当たって破壊された、と想像。 (ちょうどアッパーを食らわせたかたち) 上の場所の横にある船着き場、完全に海水に浸かってしまっている。 手前は地盤沈下のせいだろう、道路が破壊されている。 船着き場の対岸には造船所がある(右端にもクレーンと船が見える)。 ここにあった船がだいぶ陸に流されたらしい。 船着き場から北北西を見たら、TVなどで有名な船が見えた。(真ん中にある白い建物の右に船底の赤い色の物が見える) また、道路がかさ上げしてあるのも見て取れる。 北に移動。 建物は残っているが、1階は完全に抜けてしまっている。 壊れかたからして、1階の天井よりやや上まで津波が来たのだろう。 その隣の建物。工場だったようだ。右側の壁が無くなっているのが見える。 こっちも1階は完全に抜けて、2階の手すりなどもかなり破壊されている。 北東に移動。 川の隣にあった老人保健施設。1階は目隠しがされているので見えないが、建物には損傷が見られる。 ここにいた人たちはどうだったのだろうか?(二階には損傷がないので、二階に逃げていれば助かっていただろう) その川。下流から上がってきた津波がぶつかったであろう場所は堤防が激しく壊れている。 右に老人保健施設が見える。そして川の向こうには造船所。 あの有名な船の場所に来た。 大きさの目安のために車を並べてみた。学校の校舎くらいの大きさであるのが分かる。 鹿折唐桑駅の駅前に流されている。 駅から海の方を見てみると、所々に建物が残っている。どこを通ってここまで流されたのであろうか? 船体はコンクリの床にめり込んでいる。 地震で倒れたりしないよう、支えを付けてある。 スクリュー。大きくは見えないが、直径は2メートルを越える巨大なもの。 車が下敷きになっていた。救助作業などをやった形跡がないので、人の乗っていない車だったのだろう(と思いたい)。 船首と船尾には傷が付いていた。建物を壊したか、他の船と接触したときに出来たものだろう。 ただこういう傷は船首と船尾だけだったので、この船はあまり物を壊さずに流されたように見える。 近くにはヒマワリが植えてあった。 ここ以外にも花を植えている場所が多く見られた。 このとき、毛唐共がこの船の前で記念撮影なんかしていた。あいつらはぶっ殺すべきだ。 (やっぱり毛唐というのは諸悪の根源だな。毛唐が世界を悪くする。) この後、この船の近くにあるセブンイレブンで朝食(0800時)。 まだ早い時間なので、このまま予定通り南下したら今日の宿泊地に早く着きすぎてしまう。 なので、北へ向かい陸前高田と大船渡を見てくることにした。 国道45号線で北上。 陸前高田付近に入ってみたら、いきなり被災した学校らしき建物が見えた。 ここも酷い状況のようだな、と思って進んでいった。 橋が落ちていて仮設橋を渡ったら…こっちはこっちでまたすごい状況。 見渡す限り何もない。 道路の左側には何もなくて、右側(海側)には震災瓦礫が集められている。 落ちた橋。 橋の脇(上流側)では堤防が壊れていた。 この瓦礫を集積してある場所に行ってみる。 この建物は海の目の前なので、屋根まで破壊が及んでいる。 橋を渡っていくと・・・ これが高田松原の残った松。 元々は松が並んでいる名勝だったのだけれど、津波の直撃を受けて現在ではこのありさま。 象徴として一本松を残そうと運動しているようだけど、海水がまわりに入ってしまっているのでこの松を生き残らせるのは無理だろう。 枯れてしまった松も1本残っているのが見える。 海沿いにある施設。海沿いであることと二階建てであることで、完全に飲み込まれてしまった。 (この付近で多くの人が無くなった建物があるらしいがここか?) この後東進したら、すぐセルフ給油所があったのでここで燃料補給。給油量は27.54L。 これは高速道路をかなりよい燃費で走ったことを示している。 この時点での給油量総計は31.53Lで584.8Km走っているから、燃費は18.55Km/L。 給油後、更に東進していくと球場があったので見てみた。 照明は残っているが、それ以外はほとんど破壊されてしまっている。 なおこの上の写真は、道路脇の仮設堤防から撮影した。西を見ると、道の駅陸前高田(三角形)と陸前高田唯一のホテル(その右側)の建物が見える。 (後に、復興のために宿泊所の需要が出るから支援を受けてホテルを別の場所に再建する、というニュースをやっていた) 付近にあった住宅。かなり高い階まで被害を受けていた。 しかしその裏はあまり被害を受けていない。海側の建物が防波堤の役割を果たした訳だ。 奥の方に学校が見えたので行ってみた。 ここもひどい状態だ。海から1000メートルくらい離れているけど、体育館など目茶目茶だ。 大船渡を目指して海岸を進んでいったら、橋が落ちていた。 本来ここは跨線橋なんだけど、線路があった形跡は無かった。 大船渡に着いたらすぐ海岸に出てみた。(1005時) 浮きドックがあったので近づいて見てみたら、何やら建造していた(船じゃないけど)。 新潟から支援に来たのかな? この浮ドックの前にサンアンドレス公園という公園があったが、オブジェが破壊されていた。 付近では特設の波消しブロックの製造所があった。 こんな所に特設するということは防波堤などに相当被害が出ているということか。 なるほど、波消しブロックはこうやって作るのか。 ショッピングプラザマイヤ、スーパーマーケット+モールの店とのこと。 1階と2階が被害を受けている。 反対側。道路をかさ上げしているのが分かる。 大船渡駅。 反対側には復興商店街があった。 大船渡駅からちょっと北上したらかもめの玉子の会社があった…被災していた。 津波到達水位8.5メートルのプレートがついている。 先ほどのショッピングプラザマイヤの裏手。 防潮堤が完全に破壊されている。そして地盤沈下で防潮堤のこちら側は水に浸かっている。 なので道路が防潮堤の役割も負っている形になっている。 防潮扉を閉めてあるが、それを遥かに越える津波が来てしまった訳だ。 道路はかさ上げして復旧してある。 これは県道230号線。道路をかさ上げして側面を土嚢のような袋で補強。 それからアスファルトを敷いている。 30センチ以上はかさ上げしてあるので、 かさ上げしていない手前側から道に入るときは坂道になっている。 ここからは海岸沿いの細い道を南下していって、再び陸前高田へ向かう。 下船渡駅付近にある大船渡漁港。 防潮堤のそば(内側)にある建物は破壊されているが、右の奥にある高台にある建物は何ともない。 わずかな標高の差なのに… 防潮扉は一部壊れていた。 防潮堤の外にあったフネ。津波で破壊されたのだろうか。 碁石海岸IC付近から見た海は風光明媚なり。 大船渡から陸前高田に戻る途中に風呂があったので入浴。タッタ500円。 さすがに1130時に風呂に入っているような人はほとんどいなかった。 陸前高田に戻ってきた。 大船渡へ行くときにマスカットサイダーという文字が見えたので、大船渡から帰ってきたときに寄ってみた。 ちょうど風呂上がりだから1本飲んでみたら、そこそこの味だったので6本買ってきた。 (まさか他の場所に行ってもこのマスカットサイダーを置いているとは思わなかった) 陸前高田市の中心部に入って、陸前高田市役所の裏手の高台から見てみる。 (「館の沖」の文字のところに市役所があった) ここでもマイヤが被災している。左側のいずれかの建物が陸前高田市の市役所のハズ。 そしてお祭りの準備もしていた。まわりに何も無いけど、賑やかになればいいな、と思いながら通りすぎた。 登ったのはここ。壊れた鳥居らしきものがあったので神社の入り口らしい。 (地図を見るとやっぱり神社の入り口だった) 気仙小学校。 小学校の前は瓦礫置き場になっている。 気仙沼からやってきたときに最初に目に入る気仙中学校。 川の向こう側は高田松原。 唐桑町の広田湾。こうやって景色だけ見ていると津波なんてなかったようだ。 気仙沼に戻ってきて、復興商店街の気仙沼鹿折復幸マルシェ に入った(1318時)。ここでようやく昼飯。 入ったお店は「釜揚うどん団平」。 昼食後はお土産を求めてお店をのぞいていたら、山長小野寺商店の奥さんが調布の人であることを聞いた。 なんと、調布だったらそんなに遠くないじゃないか。 そのお店には「市民が撮った震災の町気仙沼 大津波の爪痕」という冊子が300円であったので購入。 これは市民自身が津波に襲われたとき、そしてその後に撮った写真が収められている。 自分のような外部の人間が、瓦礫を片付けた後に来たのではわからない惨状が見られるもの。 ただし欠点は、「××地区」とされている部分がどこなのかがわからないこと。 地図と撮った方向が出ていれば非常に良いのだが。 ここでしばらく休憩して、今後の行動をチェック。 次の目的地はどこなのか、どんな道路を通るのかを確認してから出発。 南下していって南気仙沼駅付近にて。 酷いものだ。 ここから南下していくのだが、この付近の記憶は無いし写真も無い。 おそらくおそらく同じような景色が続いていたのだろう。 国道45号線から離れて港方面へ。 漁港の前を通って外海側の海岸に出てみた。 波消しブロックが沈んでしまっているように見える。 岸の一部は壊れて、土嚢(?)で補強してあった。 ここから海沿いは走れそうになかったので、内陸へ戻ることにした。 すぐそばにある気仙沼向洋高校。3階まで被害を受けているのが見える。 ここも校庭は瓦礫置き場になっていたらしく、シャベルカーやダンプが働いていた。 手前に水が残ったままになっているのは地盤沈下のせいか? 一旦国道まで戻ってから、すぐにまた海の方へ。 杉の下漁港の裏手からさっき海に出た場所を見る。 道路は一部崩落しているし、その向こうの平地は海水に浸かっているし、何もないし。ひどい有様。 漁港の南にお伊勢崎。津波の痕跡かどうかはわからないが、松の根が露出している。 お伊勢崎の先にある島は完全に太平洋に面しているので、松が倒れたりしている。 それでも一部は残って景観を保っているのは不思議な感じ。 旭崎にある島は裸になってしまった松が1本だけ立っていた。他のは倒れてしまったようだ。 漁港の隣の砂浜の隣と裏手は瓦礫置き場になっていた。 国道を南下していって、道の駅大谷海岸で一休み。(写真撮ってない) この道の駅は津波で被害を受けたため、プレハブで営業再開していた。 大谷海岸の南にある漁港付近から見た海。 写真の左右端にある堤防らしき構造物が壊れてるように見えるけど、どうなんだろう?。 1540時、しばらく内陸部を走っていたら急に視界が開けた。 そしてその開けた先には…やっぱり津波に飲み込まれた土地が広がっていた…ここは陸前小泉。 地図でちょっと道から外れた部分がある。ここで一度車を停めて撮影した。 この位置から海側を撮影。海側はこのように浸かっていたけど、陸側も耕作放棄地のような景色が拡がっていた。 津谷川にかかる橋は落ちてしまったので仮設橋になっている。 橋の北側。 橋の南側(逆光だ)。 橋の北側の堤防も崩れていた。 向こう側に気仙沼線の鉄橋が見えるが、いたる所で落ちている。。 右に視界をずらすと(道路から内陸側を見ると)耕作放棄地のような草原。 これでは耕作ができるようになるまでに相当時間がかかるのではないだろうか? 線路の跡まで登れる所があったので登ってみた。(陸前小泉駅の跡だろう) 上の写真を拡大。向こうの方にトンネルが見える。 線路や枕木なんかが積み上げられていた。これは鉄道の復旧は放棄したということか? 単線の鉄橋。 海の方をみたら、橋が落ちているのが見えた。小さいから人道橋かな? 南へ下っていって歌津駅までくると、駅前だけGPSの記録が国道からずれている。 国道は海に面しているところを走っているので通行不能になっているんだと思うけど、 記憶も写真もなし。 1611時、南三陸町に到着。 建物は破壊されているけど、心意気までは破壊されていない。 海岸まで行こうとしたら、その手前で止められていた。 なので歩いていったけど…この通り完全に浸かっている。 浸かった部分を飛び越えて防潮堤に登ってみた。 水没してしまっている。いかに地盤沈下が激しいかがわかる光景だ。 これでは防潮堤を越えて海水が入り込むわけだ。 船着き場が沈んでしまっているので、まるで漁船は沖に係留しているように見える。 この壊れたモノは船着き場の一部だろうか? 防潮堤は大きく破壊されている。 港の復旧工事をしていた。 防潮堤の隣にあった建物は、当然のことながら大きく破壊されていた。 (津波の当たる壁面は破壊されているけど、津波の進行と平行になる壁面は残っている) 防潮堤から陸側を見る。 一面流されている。拡大してみると、車を置いた場所のあたりにも浸水しているのが見える。 ちなみにあの浸かっている部分を通ったら、穴に落ちてドスンとすごい衝撃が来た。 やはり水に浸かっている部分というのは地面が見えないから危ないのだな。 あの有名な建物跡に来た。(最後まで避難を呼びかけて津波に飲み込まれた職員の話のあの建物) おそらく片付けたからだと思うけど、スッカリ何もない建物というのは異常だ。 左側が海なのに、山側の右側にある階段の手すりが大きくひん曲がっていることに注意。 建物を壊して更に手すりも曲げているわけだから、津波は想像もつかないような大きなエネルギーを持っているのがわかる。 この庁舎の前には川があるのだけれど、地盤沈下しているので水面が異常に高く見える。 (まるで大雨の時のようだ) テレビでは庁舎しか写さない。 マスコミというのは誰にでもわかりやすくするために、ちょっと考えないと分からないような事象は無視するんだよな。 南三陸町を離れて南下、陸前小倉の手前の海岸にて。 松島を思わせる光景だ。 このあたりの海岸はどこへ行ってもこのような景色を見ることができる。 気仙沼線の鉄橋。 その直後に内陸に入っていって、道の駅津山に1700時前に到着。 ここで夕飯を食べて、そのまま宿泊。 |
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