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【東北計画3日目】


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3日目行動


道の駅津山に居た、自分さえ良ければ他人のことなんかどうだっていいクズ野郎。(長野130そ5151)
道の駅とオートキャンプ場の区別が付かないんだな。 こういうクズが道の駅の利用の制限を生み出すんだ。道の駅なるさわがいい例だ。
長野130そ5151=クズ野郎

0538時に道の駅津山を出発。(当然朝飯はまだ)
国道45号線を戻っていって、途中で県道64号線を通って北上川へ。 ホンの数分だけだけど、今回唯一の山道走行ができた。

北上川に出たけど、特に津波被害は見られず。
そのまままた内陸部に入っていく。

海岸に再び出たらまたいきなりの津波被害。
ここは湾の奥の奥、しかも折れ曲がった先にあるのに津波被害が出ていた。 折れ曲がった先なら被害は出ないだろうと思っていたけど、そんなことはないのだな。
雄勝町地図
上の地図の雄勝湾の一番奥。
雄勝町地図

地図によると、ここは産業会館。
コンテナ(?)が屋根の上にまで流されている。
産業会館
がれき
そこから道を挟んだ向かいにあるのは公民館。二階も抜けてしまっている。
公民館

そこからちょっと行ったところでは防潮堤が大きく破壊されたままになっている。
破壊された防潮堤
歩道もコンクリパネルが無くなっている部分があるし、手すりもねじ曲げられている。
手すりに引き波の時のゴミが残っている。 この辺は復旧が後回しになっているのだろう。
破壊された歩道

その後も海岸線を走るも、山の中なので海岸からはちょっと離れた所を走っていた。
津波被害はないものの、地震被害であちこちで路面補修工事を行っていた。
雄勝から女川まで地図

そして女川の手前に来たところで、見たかったものがいきなり目の前に出現した。
(出発前に調べたんだけど、どこにあるのかわからなかった)

女川湾戦没者慰霊塔。
戦時中ここには海軍の根拠地(女川防備隊)があっため、空襲を受けたことがある。 そのときの戦没者の慰霊塔。
(大内建二『あなたが知らない船の話』にその辺の記述がある)
女川湾戦没者慰霊塔
女川湾戦没者慰霊塔

しかしこの慰霊塔も地震の被害を受けていた。
地震の被害
地震の被害

そして女川町に到達。
(慰霊塔があるのは、この地図の右側のうねうねが連続しているところのあたり)
女川町地図

女川町に入ったら、早速抜かれた建物とがれきの山。
抜かれた建物とがれきの山

女川の中心部に入る手前に川があるのだけれど、ここも橋が落ちているので仮設橋になっていた。
しかもダンプがひっきりなしに通るのに、幅が狭いのでダンプ同士ですれ違えないという仮設橋。
仮設橋
この位置から右を見ると、がれき置き場になっている。とにかくものすごい量だ。
がれき置き場
海の方へ移動してみたら、船着き場どころか海岸が破壊されている。 船着き場は向こうの方なのに、そこまで行けない。
海岸が破壊されている

0656時、女川の被害の大きかった場所に到着。
TVなどでよく見る倒壊した建物がある場所だ。
倒壊した建物がある場所
そこから内陸部を見る。地図で見てみると女川駅の方向のようだが、整理されていてそんな痕跡は全くない。
(まるで新興住宅地のようだ)
女川駅の方向

被害のあった所と被害を免れた所。
標高が被害を分けているのがよくわかる。
被害のあった所と被害を免れた所

建物その1。(女川交番)
完全に根こそぎ倒れてしまっている。
建物その1
建物その1
建物その1
建物その1

建物その2。
ただ単に閉鎖しているように見えたけど、近寄ってみたら窓を閉じているのではなく塞いでいるのがわかった。
やはり津波で抜けてしまったのだろう。
倒れなかったのは、杭の打ち方とか建物の向きのおかげなのだろう。
建物その2
建物その2

建物その3。
内部に車があるので個人の家だったのだろう。 生活感が残されているので悲惨さが伝わってくる。
建物その3
建物その3
建物その3

建物その4。
建物の基部に杭らしきものは見えるけど倒壊してしまっている。おまけに内部はめちゃくちゃ。
後方は地域医療センター。高台にあるので被害を免れている。
建物その4
建物その4
建物その4

建物その5。
この建物にも杭らしきものは見えるけど、やっぱり倒壊してしまっている。
建物の天井にも損傷があるので、津波でやられたのか、倒れた後に引き波でやられたのか。
建物その5
建物その5
建物その5

建物の周り。民家があった跡がある。
きっとがれきが片付けられるまではひどいありさまだっただろう。
民家があった跡
民家があった跡

ここにあった看板。残念ながら情報がやや古い。
ここにも花壇が作られていた。やはりこうまっさらな土地のままというのは余りに素っ気なさすぎる。 簡単にできてみんなの心を癒すような花壇というのは非常に良いな。
復興看板
復興看板
復興花壇

桟橋の当りには車が集まっていた。
桟橋付近
桟橋。地盤沈下しているのでかさ上げしている。
かさ上げした桟橋
離島連絡船「しまなぎ」。
見ていたら車で来ていた作業者らしき人たちが乗船していた。 女川の沖にある離島での復旧作業に従事する人たちだろう。
しまなぎ
船着き場は完全に水に浸かっている。
完全に水に浸かっている
マリンパル女川のあったあたり。跡形もなく解体されている。
マリンパル女川跡
灯台型の街灯(?)だけが残されていた。被害の跡が見られないけど、新築なのか?
灯台型の街灯

地域医療センター。
地域医療センター

0725時、復旧作業のためダンプが集まってきた。
ダンプ集結
ダンプ集結

女川のがれき置き場。 かなりの長さにわたってがれきが山積みになっていて、がれきが復興の妨げになっているのがよくわかる。 あのがれき置き場だけでどれだけの面積を占めているのだろうか。
がれき置き場
がれき置き場
がれき置き場地図
がれき置き場の中を走っていって、それが切れて仮設住宅に着いた時点で引き返した。 仮設住宅での生活はどんなものなのかは興味あるけど、 興味本位だけで仮設住宅を見るのも良くないだろうと思って仮設住宅はまるで見てこなかった。

海から離れた高台に上がって撮影。海岸から千メートル近く離れているのに津波被害が出ている。
高台から海岸方面を見る

その後、朝飯を食いたくて開いている店がないかうろうろしてみた。 しかしどこに店があるかも分からないので、先へ進むことに。 女川町の女川湾とは反対側(万石浦)へと向かった。
途中復興商店街があったので、朝飯が食えないかと寄ってみた。 女川高校のグラウンドをプレハブの商店街にしていたんだけど、まだ0800時なので交番以外は開いていなかった。よってここでも朝飯を食えず。

万石浦の海岸沿いを走ったけど、まったく被害は見られなかった。
ここは湾なのに被害が無いのだな、と思ったけど、地図を見たらこれじゃ被害がなくて当然か。
結局朝飯は途中にあったコンビニで。どうも朝飯はコンビニに頼らざるを得ないな。
地図女川町

万石浦の出入り口のあたりにあるサン・ファンバウティスタパークへ行ってみた。 ここは津波被害でオープン出来ないでいるのはわかっていたけど、一応寄ってみた。
しかしやっぱり営業はしていなかったが、船は上から見ることが出来た。 まだ0845頃だけど、もう何かの作業をやっていた。
この施設は独眼竜政宗を思い出す。 スペインへ送り出した支倉常長がすっかり染まって政宗の前に現われたあのシーンを。
サン・ファンバウティスタ

万石浦の入り口のすぐそばで海岸に出てみた。
やっぱり外洋に面しているので津波被害が出ている。 ただし今まで見てきた場所に比べると、被害を受けた場所の奥行きがあまりない。 おそらく地形の影響で津波が大きくはなかったのだろう。 とはいえ、少なからぬ住宅が流されているが。
松原町のあたり
地図を見ると向こう側にあるのは幼稚園だった建物のようだが、大丈夫だっただろうか。
松原町のあたり
松も被害を受けていた。
松原町のあたり
向こうの方はがれき置き場に。
松原町のあたり

もうちょっと先へいって石巻漁港付近へ。
やはり海沿いの建物には被害が出ていた。
道路も舗装を剥がしてあるということは、走行に支障がでるくらいでこぼこになってしまったのだろうか。
石巻漁港付近
石巻漁港付近
船着き場付近は工事をやっていて近寄れず。岸壁にかなりの被害が出たということだろうか。
石巻漁港付近
土嚢(?)が積み上がっているということは、岸壁か堤防の工事のためだろう。
ここも気仙沼ほどではないにしても、道をかさ上げしているのがわかる。
石巻漁港付近

石巻地図

旧北上川を渡って行くと工場地帯へ入っていった。
ところがここには津波被害のようなものが見られない。 はやり企業はすぐに復旧させてしまうから跡はなかなか見つからない。
とはいえ、気をつけて見るとやっぱり被害の跡は所々に残っている。 この工場は一部壁が壊れたまま。
工場にある被害の跡

海岸に壊れている施設…津波避難タワーのような物があったので寄ってみた。
階段が壊されて、土台も土が流されてしまっている。これじゃ周辺から立ち入り禁止にするのも道理だ。
(どうみても避難タワーではないな。展望台だ)
展望台
南を見るとすぐ海。津波など感じさせない穏やかな海だった。
穏やかな海
東を見ると防波堤どころか防潮堤らしきものも見られない。事実上無防備な場所だ。 (地図を見てもこの沖には防波堤はない)
無防備な海岸
北を見ると、工場か倉庫を造っていた。津波被害のため建て直しているのか?
倉庫建設中

石巻港にて。
この建物の前はもう港なので、海水が抜けてしまっている。
抜けた建物
その隣には瓦礫置き場があった。かなり高く積み上がっている。
瓦礫置き場
この港には防波堤があるのだけれど、津波はそれを乗り越えてしまったのだろう。
抜けた建物
抜けた建物
もうちょっと進んだらまた瓦礫置き場があり、今現在ガラガラと音立てながら積み上げていた。
手前のワンボックス車と比較すると、どれだけ高く積み上がっているかが分かるし、 それだけ高く積み上げなければ処理しきれないほどの瓦礫があるということだ。
(鉄らしき瓦礫しか見えないから、分別後の瓦礫置き場のようだ)
瓦礫置き場

松島基地周辺地図
石巻港を過ぎたら、次は松島基地へ向かう。
松島基地の東側は家が点在していたけど、どの家も人は住んでいないようだ。 今までの津波被害を受けた場所は、家は土台しか残っていないので被害の程は想像しなくてはいけなかったが、 ここは1階が抜けた住宅が点々と残っているので悲惨さが伝わってくる。
人の住んでいない家々
ここから目を北に向けると一面の荒れ地。おそらく畑か水田だったのだろう。
畑か水田だった場所

このあたりは片付けていないので、まだゴミが散乱しているし、水に浸かったままになっている。
ゴミが散乱している
1軒の家は花で飾られていた。ここに住んでいた人が描いた物だろう。
花で飾られた家
北上運河沿い(南側)の道。ガードレールが津波でひん曲がってしまっている。
ひん曲がったガードレール

松島基地の撮影ポイントである海浜緑地に行ってみようとしたら、瓦礫置き場になっていて行けなかった。
狭い道をダンプがひっきりなしに通るし、この先は基地と緑地しかないので逃げ場がない。なのでここで一旦引き返し。
瓦礫置き場
この緑色の山はがれきの山。
がれきの山
向こう側では更に山を造っている最中だった。
ちなみにここが海浜緑地の入り口にあたる場所で、道の右側が北上運河。
向こう側では更に山を造っている

松島基地へ近寄ってみたら、中の様子が全然わからない状態になっていた。 近寄っていったら、ちょうどCH−47(#496)が離陸していった。
飛行場としての能力は取り戻してはいるのだな(雑誌で知ってはいたが)。
CH−47(#496)
なお基地はこのような状態。土手で中が見えなくなっている。
土手が切れたところにBIのハンガーが見えるのでそっちの方へ歩いていった。
土手で中が見えなくなっている
BIのハンガー
このときC−1が離陸していった。 エンジン音が聞こえていたので飛行機が居るのはわかっていたが、この土手のせいで中を全然確認できなかったし、 離陸してもしばらく機影を確認できなかった。


基地内。
被害があるようには見えないが、飛行機が海水に浸かってしまったんだよな。
基地内
基地内

工事のダンプが頻繁に行き来していた。
フェンスが津波で流されてしまったので、有刺鉄線で代用していた。
工事のダンプ
有刺鉄線

BIのハンガー前には車が並べられていた。 駐車スペースなのかと思ったけど、あまりに雑多なので津波で動けなくなった車を置いているのか?
BIハンガー前

飛行機が飛んでいった後も消防車がいたので、待っていたら何か見られるかな?
消防車

ところが工事車輌が滑走路に入っていくのが見えた。これじゃしばらくは何も動きがないな、という訳で離脱。
工事車輌が滑走路に入っていく
工事車輌が滑走路に入っていく

ここから見た海浜緑地、がれきの山だ。 走っている車が見えるが、進行方向は行き止まりだからあれは自分と同類だろう。
しかし海浜緑地がこのがれきの山をそのまま山(堤防)として整備したら、撮影ポイントとしては絶好になるのだが。
海浜緑地はがれきの山

信号待ちをしていたら向こうの方にT−2が見えたので、カメラを構えてノーファインダーで運転しながら撮影。
T−2BI
T−2BI
T−2BI
T−2BI
T−2BI
場所は鹿妻駅前。このT−2は本物なのか単なるモニュメントなのかはわからなかった。
(モニュメントにしては出来がよすぎるから本物?)

松島基地西方地図
松島基地を過ぎて渡河したら堤防を南下、さっそく海岸沿いを走り出した。

不老山のあたり。
奇岩のある所だが、こんな奇岩は初めて見た。 不老山付近
不老山付近

こんな所に車をとめた。 前は海水浴場なので本来ならこの時期は海水浴客で溢れているところだろう。
野蒜(のびる)海水浴場
野蒜(のびる)海水浴場

もうちょっと南に車を走らせたら、防波堤が破壊されていた。
砂浜と防波堤の間に水が溜まったままになっているし、その防波堤も砕石で高くしただけの仮設のもの。 道路は舗装し直しているし、道路の内陸側にも水が溜まったまま。応急の復旧工事だけしか出来てない。
防波堤
松並木が残るところ
運動公園は瓦礫置き場になっていた。 何もないところ

カーナビを見たら、ここから南へいっても先(宮戸島)へいけるかわからないな、と思ってここで引き返した。

海岸にある電光掲示板。海水浴客向けのものなのだろうか?
これは壊れていないようだが、足元のフェンスはねじ曲がっている。
電光掲示板
近くにあった道路の行き先案内板は完全にねじ切られている。 こういうものがまだ残っているということは、ここら辺は復旧の優先度が低い場所ということなのだろう。
行き先案内板

松林の裏側にこんなのがあった。 「ようこそ奥松島へ」「奥松島 縄文村」とあるということは、この付近を奥松島と言って、縄文人の遺跡があったということか。
ようこそ奥松島へ
奥松島観光マップ

被災した東松島市の市役所出張所。
二階まで抜けてしまっている。
東松島市の市役所出張所
東松島市の市役所出張所
今来た方向を見る。このように何もないが、地図を見ると民宿などがあった場所。
この光景から、民宿などが建っていたと言われても全く想像ができない。
何もなくなってしまっている
近くにあった中学校。二階建てなので、ここも二階は抜けてしまったのではないだろうか。
中学校
奇岩はしばらく内陸にまで続いていた。
奇岩

出張所の北にある野蒜駅。(Wikipedia 野蒜駅
津波被害を受けて、1階はベニヤでふさがれている。(駅舎の時計は復旧して現在時刻を指していた)
野蒜駅
駅前の橋は欄干が破壊されていた。ここまで破壊されるとは。
欄干が破壊された橋
欄干が破壊された橋
どうやら津波はこの川(東名運河)を越えたところまで達したようだ。 道沿いの家は被害があるが、その奥の家には大きな被害は見られない。
津波被害はここまでか?

松島湾地図
駅の後は松島湾に入っていった。 ここは宮戸島を始めとする島々があったおかげか、津波被害はあまり見られない。
遊覧船に乗って松島観光をしようかと思っていたが、 松島海岸駅付近は人がいっぱい、車もいっぱいで完全に観光地。 どうしようか、どうすればいいかを考えられるような場所なんか無かったので、そのまま素通りしてしまった。

この付近にはあちこちに「もしもしピット」という待避所が設けられていて、電話を操作したりするのに便利。 ここに入って松島の観光船の情報を調べた。 すると塩竃からも出ているというので、松島まで戻らずに塩竃から乗ることにして先へ進むことにした。
なおこのとき、反対側車線…松島海岸駅方面はかなり渋滞していた。


塩竃の前に、松島を見るスポットとして有名な双観山に登った。
確かにここからの眺めはいいわ。観光船からの眺めには劣るかもしれないけど、松島の景色は充分に味わえる。
広角レンズで撮影しているので遠く見えるけど、実際にはもうちょっと近くに見える。
双観山からの眺め
双観山からの眺め
双観山からの眺め

塩竃付近地図

双観山を離れた後は、相変わらず海岸沿いを走り塩竃へ向かう。
(双観山でGPSロガーの電源を入れ忘れたので、しばらく経路の記録なし)

海岸を走っていたら、東北区水産研究所の脇から目の前に松島らしい景色が見られた。
やっぱりこの緑色の島を見ないと松島に来た気がしないな。
松島らしい景色

水産物の加工工場の立ち並ぶエリアを走っていたら、 市場(塩竃水産物仲卸市場)を見つけたのでここで昼飯が食えないか入ってみた。
寿司屋があったので海鮮丼を注文。
普通酢飯を使うけど、ここのは普通のご飯。 ただし上に青海苔を降りかけて独特の味を出していた。 しかし自分にはお上品すぎて不満だった。 貧乏性だから、そこそこの質でいいから量が欲しかった。
なお汁物は別注文の品。
海鮮丼
昼飯を食い終わって外に出たら、いきなりの夕立でびっくり。 こういう車中泊旅行をしていると、どうしても天気のチェックはおろそかになってしまう。

昼飯を食ったら、塩竃からの観光船が出ているマリンゲート塩竃へ移動。 さて観光船に乗ろうかなと思ったら、松島への片道しか出ていない。 塩竃から島々を回って塩竃に戻ってくるという便は存在はしているようなんだけど、 運行はしていなかった。さすがに松島に行って金払って、 塩竃に戻ってくるので更に金を払う気にはなれないので、観光船はあきらめた。

マリンゲート塩竃の中。七夕飾りが吊るしてあった。
マリンゲート塩竃の中
観光船の発着する桟橋。向こうには造船所が並んでいる。
右端に魚市場があって、その向こう側に昼飯を食った仲卸市場がある。
マリンゲート塩竃
対岸にいた船
対岸にいた船(巻き網漁船)
海上保安庁の船もいた。よくみたら片方の船には機関砲が付いている。
巡視船
20ミリ砲にしては砲塔が大きすぎるので調べてみたら35ミリ砲だった。
日本では87式高射機関砲や89式装甲戦闘車で採用されているエリコン35ミリ機関砲だ。 砲を外装している姿は高射機関砲みたいだ。
(この砲は総火演で実弾射撃を見ているな)
巡視船くりこま35ミリ砲

塩竃にしばらくいた後は海沿いを走って七ケ浜町へ。
景色の良さそうな山の案内板があったので登ってみた。
多聞山

駐車場のそばからはこんな景色が。これは東北電力仙台火力発電所。
東北電力仙台火力発電所

7−8分歩いていくとこういう景色が見られた。
地図を見ると、塩釜湾の北端が双観山で南端がこの多聞山ということになる。
多聞山からの眺め

花渕浜の漁港(名称不明)。
防波堤が破壊されている。防波堤が破壊されるくらいだから、海岸は津波被害を受けていた。
防波堤が破壊されている
漁港

菖蒲田海水浴場。堤防を乗り越えた津波が大きな被害を出している。
菖蒲田海水浴場
道路(橋)が完全に破壊されてしまっている。
破壊された道路
土が流れてしまったために道路や住宅が破壊され、池のようになってしまっている。
池のような状態
池のような状態

道路の状態。
このようにでこぼこになったから舗装を剥がしていたのだろうか。
でこぼこ状態
下の土が流されて穴が開いてしまっているし、その周囲は危険で近寄れない。
(液状化と同じような常態か?)
崩落

松が一本だけ立っているのが見えたので寄ってみた。
一本だけというのは不自然だけど、津波被害らしき痕跡は見つけられなかった。
一本松
反対側から見てみる。防波堤の向こう側が菖蒲田海水浴場。
一本松
防波堤は破壊されたような痕跡はなかった。先の方では数人が釣り糸を垂れている。
防波堤
すぐそばに碑が倒れていた。菖蒲田浜の漁港(名称不明)の「漁港完成記念碑」だ。
周囲には壁か何かがあったようだが、破壊されてしまっている。
漁港完成記念碑

ここから先は工場地帯に入るので内陸部に入る。
次の目的地は仙台市だけど、その前に風呂に入りたいな、 と看板などを探しながら走っていたが見つからないので、 いったん車をとめて検索してみた。すると通りすぎた方向に極楽湯があるのがわかったので、 引き返して風呂に入ってきた。

そして某スーパーに移動して、この駐車場で車中泊。 近くに入りたい店は無かったので、夕飯はファミレスだ。
なおこのスーパーで土産物も買い込んでおいた。
ドリア
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